佐賀地方裁判所 昭和36年(ワ)165号 判決 1962年2月28日
原告 大田秋子こと金秋子
被告 松田和夫こと李宗善 外一名 〔人名いずれも仮名〕
主文
被告李宗善は原告に対し金一〇〇、〇〇〇円を支払え。
原告の被告李宗善に対するその余の請求並びに被告李永達に対する請求を棄却する。
訴訟費用中原告と被告李宗善の間に生じた部分はこれを五分しその一を同被告の、その四を原告の負担とし、原告と被告李永達との間に生じた部分は原告の負担とする。
事実
原告は「被告等は各自原告に対し金五〇〇、〇〇〇円を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、「原告は佐賀市久保泉中学校、佐賀農芸高等学校を卒業後、佐賀高等美容学校に入学、同校を終えて美容師として働いていたが、原告、被告李宗善双方ともそれぞれの父母の同意をえて昭和三五年一一月婚姻を約し同年一二月二〇日結婚式をあげ、肩書の同被告方に落ち着き事実上の婚姻関係をもつこととなつたが、同被告はその当日の午後一二時近く、原告に行先を告げないで外出したまま、ようやく同月二六日に帰つてきた。
しかも、以後は毎日夜中ともなれば原告には何も告げずに家を出て翌日の午後三時頃帰つてきていた。当時被告李宗善と同居していた同被告の父である被告李永達は原告に対し男は結婚すれば女をこわがるとか消防の夜警で忙しく家を空けると話していたので、原告は別にうたがうこともなく、家事又は家業のようかん製造業の手伝をしていた。ところが、昭和三六年一月一〇日頃の午後七時頃突然バー「セブン」の女給みさおから原告に電話があつて、「私は被告李宗善と一年半同棲している。夜は絶対に離さないのでそのつもりでいてくれ、くやしくないのか。」といつて嘲笑され、はじめて被告李宗善が同女と情を通じていることを知り愕然とした。その後被告李宗善は情婦みさおのところに行つたまま帰らないので原告は再三にわたり帰るように訴えたが、同被告は全然これをききいれず、その後は被告李永達をはじめ家族の者は些細なことに文句を並べ、特に被告李宗善の妹スミ子は原告を罵倒し、足蹴りにしたり原告を女中とよぶなど、家族の者の原告に対する態度は極めて冷酷となつたが原告は如何なる罵倒冷淡なる態度にも屈せず黙々として家事又は家業の手伝をして被告李宗善の帰るのを一日千秋の思いで待つていたが、遂に同被告は帰つて来なかつた。原告は結婚以来同棲中被告李宗善の両親には孝養をつくし、営々孜々として家庭を守り又は家業を手伝い、被告李宗善に対して初婚者として身心ともに一切を捧げて婦道に勉めてきた。然るに被告李宗善は情婦がいるのにもかゝわらずこれを原告に秘して結婚し結婚後も引き続きみさおと情を通じ原告の訴えにも応ぜず、原告は右不貞行為により耐えがたい重大なる侮辱を加えられているのでもはや宥恕しがたく、かかる男性と一生をともにすることは到底耐えられないところであり被告李永達は被告李宗善の父として右の事情を知りながら被告李宗善に担加して同被告を原告と結婚させたばかりか、被告李宗善が原告を無視して外泊することを差し止めることもなく、虚言を弄して同被告をかばい、原告を居たたまれないように仕向けそのため原告の被告李宗善との結婚生活を続けることを断念せしめるに至つた。右のような被告等の原告に対する行為は原告に対する不法行為である。かくして原告は昭和三六年三月四日実家に帰つた。原告は現在実家に厄介になつておるが、将来の希望も人生設計も根底から覆されて堪ええざる精神的苦痛を受けており被告等は損害賠償により右苦痛を慰藉すべき義務がある。しかして、被告李永達はようかん製造販売業を営み、被告李宗善は右家業の手伝いをしていて、その営業は繁栄し相当の資産を有しており原告の前記経歴、結婚にいたるいきさつ、その後の事情その他諸般の事情を考慮するときは右精神的苦痛は被告等から各自金五〇〇、〇〇〇円の支払いを受けることによつて、ようやく慰藉するに足ると考える。よつて、原告は被告等に対し各自金五〇〇、〇〇〇円の支払いを求めるため本訴請求に及んだ次第である。」と述べた。<立証省略>
被告等は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、「原告と被告がそれぞれ両親の同意をえて婚姻を約し原告主張の日結婚式をあげたこと、同日から原告が肩書被告李宗善の住居に居住し、原告主張の日実家に帰つたこと、被告李宗善が被告李永達の子であることは認めるが、その余の原告主張事実は争う。被告李宗善は昭和三五年一一月末原告との結婚をすゝめられ、同年一二月初旬原告と結婚することを承諾したが、原告の要求で被告等は洋服その他身廻品調度品を取り揃えこれに十数万円を支払い結婚式の費用も一切被告等において負担し、そのため金二六〇、〇〇〇円を銀行から借用したほどである。被告李宗善は昭和三五年二月二六日から小城町バー「セブン」でバーテン見習として勤め、月給七、〇〇〇円の給与を受け、昭和三六年四月末日まで同所に勤めたが、その勤務の事は原告にも話しており結婚後原告主張のような女給みさおと交渉のあつた事実は全然なく、また、同女給が原告に電話で原告主張のような話をしたことはない。なお、原告の母金徳順は原告が実家に帰つた翌々日の三月六日被告李宗善宅を訪れ勝手に二階の居間に上り、被告等において調達していた衣類道具一式を持ち去る暴挙にも及んでいる。」と述べた。<立証省略>
理由
まず準拠法について考えてみると、原告も被告等も、いずれも、韓国人であることは原被告等各本人尋問の結果により明らかである。そして、後記のとおり、原告と被告李宗善とは事実上の婚姻をしていながら、(しかも本件ではその本国法による婚姻成立の要件も備えていると認められる。)未だ婚姻届をしていないので、婚姻の方式は婚姻挙行地の法律によることとする法例第一三条第一項但書からみて、両者はいまだ婚姻したものとは認められずいわゆる内縁関係にあり、これをいかなる法律関係とみるかは問題であろうが、いずれにしてもそれが単純な婚姻予約ではないが、婚姻関係に準じた身分関係であることは否定できない。そして、特に法律上婚姻が成立した場合にのみ与えられる効力は別として、それ以外の婚姻の効力はこの内縁関係でも認めてよいから、少くとも、この限度では、内縁関係の効力についての準拠法は婚姻の効力についての法例第一四条を準用して準拠法を決定してよいと考える。但し、これに準拠した場合でも、内縁関係の特殊性にかんがみ婚姻と全く同様の効力を認めることができない場合のあることは上記説明したとおりである。ところが右のような準婚姻関係が事実上解消してしまい、その解消が一方当事者の責に帰すべき場合、これをどのように法律構成し、有責当事者に対する相手方の損害賠償が許されるとすれば、どのような場合にどのような方法で、どの限度においてなされるかというような責任の態様、程度については、それがすべて婚姻関係に準じた身分関係から生ずる直接の効力として直ちに法例第一四条を準用すべきかは問題である。少くとも、右を準婚の効力と考えないで不法行為と考えうる場合には法例第一一条の適用があるといいうるからである。ところで特に右韓国民法において、このような場合を処理すべき規定を設けているときは、その性質を問わずこれによるべきであらうが、同民法にはかかる場合の規定がなく理論的にはこれをどのように法律構成するかによつてそのよるべき法がちがつてくるといわねばならない。ただ、不法行為とした場合に、それが身分法にからまる問題だけに、本国法において特に類似法律関係において損害賠償を認める規定があり、しかも、これが不法行為の理論によるものであるときは、直ちに法例第一一条を適用することなく、右本国法に準拠すべきではないかとの疑問が起る。そして韓国民法は婚姻関係の解消の一つの場合である裁判上の離婚については同民法第八四三条により、また婚姻の無効取消の場合について同法第八二五条により、いずれも約婚(婚姻予約)解除の場合の損害賠償を認める同法第八〇六条を準用し、過失ある当事者に対する他方当事者の損害賠償請求が認められているので、まさにこれを準用しこれに準拠すべきであるようにも考えられる。しかし、右損害賠償を認めるについてはどのような根拠に基くものかは必ずしも明らかでなく、同法第三九〇条が債務不履行につき、同法第七五〇条、第七五一条が不法行為につきそれぞれ損害賠償を認めながら、更に上記身分法関係で右のような損害賠償を認めているところからすれば、これは身分法上の特別の損害賠償を認めて債権法上又は不法行為法上の損害賠償をこれらの場合に否定するもののように解される。従つてこれをもつて直ちに不法行為の理論に基くものとしてこれを準用しえないばかりか、このように特別に認められた損害賠償の制度を法的にはまだ婚姻とは認められない準婚の解消の場合に準用することは身分法上の建前からいつても適当ではなく、これに準拠することはできないものといわねばならない。ところで原告の本訴請求は被告李宗善に対しては同被告の責に帰すべき内縁関係の破棄の原因が内縁という法律上保護さるべき生活関係を侵害して、これによつて相手方たる原告に精神的損害を加えたとして不法行為を理由とするものであつて、これは充分に理論構成ができうるところであり、被告李永達に対しては被告李宗善の不法行為に加担したことを理由とするものであるから、いずれも本件については法例第一一条により原因たる事実の発生した地の法律即ち日本国民法に準拠すべきこととなる。
そこで、右により当裁判所の判断を示すと、原告と被告とがそれぞれの両親の同意をえて婚姻を約し昭和三五年一二月二〇日結婚式をあげ同日から肩書被告李宗喜の住居に居住するようになつたことは当事者間に争いがない。ところで、まず、原告の被告李宗善に対する請求について判断するに、証人金徳順の証言並びに原告本人尋問の結果によると、原告と被告李宗善は結婚式後同被告方に落着いたが同被告方は後記のとおりの家族構成であつて、原告と被告李宗善の二人のための部屋も与えられたが、同夜一一時頃、同被告は何も告げず外出したまま帰宅せず、同月二六日帰つてきたものの、外出外泊の理由もいわず、原告もふかくこれを問題にすることもなかつたが、同夜を共に過した同被告は翌朝原告の知らぬ間に外出してしまつたこと同年一二月中夫婦が夜を共にしたのはわずか二回、昭和三六年一月には一回という有様で、原告もようやく不審をいだくようになり、たまたま出合つた仲人山田某から被告に女があるしかもそれはバーの女給であるといううわさがあるときかされて、同被告に不信感をもち、同被告にこれをたゞしたが同被告は何の返事もしなかつたこと、とかくするうち同年一月一〇日頃バー「セブン」の女給みさおと称する女から原告に電話がかかつてきて、同女が同被告と一年半位同棲しているとか、夜は絶対に帰さないからそのつもりでとか、くやしくないねとかのあざけ笑いを交えた言葉があり、丁度その場に居た同被告に電話に出るようにいつて同被告と言葉を交し、直ちに同被告は外出してしまつたので、原告はあまりの仕打にくやしさで一杯であつたこと、当日以来同被告は後記原告が同被告方を去つた同年三月四日まで帰宅せず、原告は二回ほど、バー「セブン」に行つて同被告と会おうとしたが一回は妨げられ、二回目も待ち合せの約束の場所に来ずに遂に原告は同被告の真意をたしかめることができなかつたこと、同年二月一三日事態を知つた原告の母金徳順の呼びよせで実家に帰つた原告は右の事情を説明し苦衷をうつたえたので金徳順は同被告に会うため同被告を求めたが会えず、同被告の父李永達(この身分関係は当事者間に争いがない)に抗議したところ、被告李永達も被告李宗善の所為について陳謝の意を表し同被告もまた被告李宗善の所在を求めたが見出せず、一応引きとつてきた金徳順にさとされ原告は再び同月二一日被告李宗善方に帰つて行つたこと、しかし、同被告は帰宅せず原告は空しく待つばかりで、同被告の弟妹等からも冷たくあたられ、李永達も何らの策を講ずることなく放置し、夫婦の間を正常化するべき努力もしないため、初婚の昭和一四年四月一六日生の女性で、独り他人の間にあつて夫の愛も受けることなく、家族の融和もえない状況では原告としても被告李宗善との結婚生活を続けることは不可能の状態であり、原告はようやく意を決し同年三月四日被告李永達の止めるのも容れることができず、実家に帰つたこと(同日原告が実家に帰つたことは当事者間に争いがない。)が認められる。右認定に反する被告等各本人尋問の結果は信用しない。
被告李宗善がバー「セブン」の女給みさお(本名和田ミヨ子)と交際があつたこと、原告と結婚するについて同女との問題を解決すべきであり、被告李宗善も同女と縁を切る気持になつて友人の三浦末雄に対し同女を説得するよう依頼したこと、女給の間でも同被告が結婚したら和田ミヨ子は別れた方がよいという話もあつたことは証人寺田一男、同三浦末雄、同宮田恵美子の各証言により認められるところで、右の事実によると、同被告と右和田ミヨ子とが単に一緒に映画をみたりお茶をのむという程度の交際でなかつたことを物語つて余りがある。しかも、証人寺田一男の証言によると同被告が外泊により原告と溝ができたようだとか自分が悪いのだろうなどとともらしていたことも認めうるのであるから、証人新田芳子の証言にあるように被告李宗善が原告との結婚前後を通じて和田ミヨ子と同一部屋に生活を共にしていたとか、昭和三五年一月頃和田ミヨ子が人工妊娠中絶をしたとかのうわさは単なるうわさというに止まらず、むしろ、事実に近いものとさえ思える。右についてこれを否定する証人和田ミヨ子、同宮田恵美子の証言は到底採用できない。同被告が上記のように原告との結婚後も長期にわたつて家を留守にし、その宿泊先も明確にしない態度に徴するときは、なおさら、右の感を深くせざるをえない。同被告が上記のように理由もなく外泊し、花嫁を放置していたという容観的事実は否定しうべくもなく、前記のような関係をもつ女性があつたことを同被告が結婚前に原告に告げた事実を認むべき証拠はないが、事前にかゝる告白をすべきかどうかの点は微妙なところで、場合によつてはこれを秘したことを強く非難することもできないが、少くとも、結婚後において、なおも、単なる友人としての交際に止まらず、それ以上の交際を続けることは原告との円満な夫婦生活をみだすもとであつて、原告に対する不貞に近いほどの反信義行為であるといえる。しかも同被告は原告との顔を合せることも避けていて、同被告には原告のいだく他の女性との交際の疑い、不信感をときほごし、原告との円満な共同生活を作り上げようとする努力のみじんも見出すことができず、かくして原告は同被告との結婚生活を続けることを断念せざるをえなかつたもので、原告の蒙つた精神的苦痛は甚大であることはたやすく、これを認めうるところである。そして原告をしてこのようにさせたのは、まさに同被告の前記のような不法な所為によるものであるから同被告は原告に対し損害賠償として相当の慰藉料を支払つて右原告の蒙つた苦痛を慰藉すべき義務がある。よつて、その数額について判断するに証人金徳順の証言並びに原告本人尋問の結果によると原告は前記のとおり昭和一四年四月一六日に佐賀県大和町久池井で出生、久保泉小学校、同中学校、佐賀農芸高等学校を卒業後佐賀専門学校に入学、同校を終えて美容師修習をし、昭和三五年七月これを済ませたが、人のすゝめで久留米市の喫茶店に勤めるようになつたこと、同年一一月前記山田某の仲立で、被告李宗善と見合いするに至り、同月末には前記のように婚約したこと、家族は日本に永住する父金長興、母金徳順の外兄弟六人で、父は四反の農地を耕作するかたわら養豚業を営むものであるが、原告と被告李宗善との結婚については両親相互の話し合いで、特に原告側において調度品を調えることはせず、これは被告等においてすべて調えたこと、原告は初婚で被告李宗善との結婚に破れ現在の住所で美容師として住込み月額金六、〇〇〇円を得ていること、が認められ、被告等各本人尋問の結果によると、一方被告李宗善は本年二四才小城小、中学校から小城高等学校を卒え、父の李永達の営むようかん製造販売業の手伝いをしており、そのかたわら、昭和三五年二月からバー「セブン」のバーテン見習続いてバーテンとなり月給四、五〇〇円以上の給与をえており、家族は日本に永住する李永達が前記営業により昭和三五年度は年間金六〇〇、〇〇〇円の所得を認定されており、(所轄税務署の決定)母親の外弟妹等五名あることが認められ、これらの事実の外、被告李宗善と女給みさおとの前記関係のいきさつ、原告との結婚前後の事情、原告と同被告との夫婦生活の程度、この結婚のために要した双方の出費の程度など諸般の事情を斟酌すると、原告の蒙つた精神的苦痛は金一〇〇、〇〇〇円をもつて慰藉するに足ると認める。すると被告李宗善は原告に対し金一〇〇、〇〇〇円を支払うべき義務があり、原告の同被告に対する本訴請求は右の限度において正当であるからこれを認容し、その余の部分の請求は失当であるからこれを棄却する。
次に原告の被告李永達に対する請求について判断するに、同被告は被告李宗善が右のように原告を放置してかえりみないにもかゝわらずこれを説論して原告との円満な共同生活を営むようにさせることもせずただはじめは苦労もあるがあとはよくなるからといつてきかせた(同被告本人尋問の結果)程度では、夫婦だけの生活でなく夫の両親、弟妹等との共同生活をする原告をいたわり外泊する被告李宗善を戒告していかねばならない家長の立場にある被告李永達のすべき義務をなおざりにした非難は当然であろうが、右のような同被告の態度をもつて原告と李宗善との結婚を破壊させたものといえるかどうか問題であつて結婚前に被告李宗善の女性関係をことさらに秘した事実も認むべき証拠もなく、その他被告李永達に原告と被告李宗善との結婚生活を破綻せしめたような積極的なものは見当らないし、原告が被告李宗善との結婚生活を断念するに至つたのはむしろ被告李宗善の仕打にあることは上記のところから明らかである。すると、被告李永達の原告に対する不法行為は認めることができなくなる。よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の同被告に対する請求は失当であつてこれを棄却すべきこととなる。
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 生田謙二)